フラワーの想い出帳 (その4 「終着駅の片隅で」)
10月19、20日は、皆様にあたたかく迎えていただいてとても楽しかった。反面、地元の皆様にうまく溶け込めなくて、もう少しやりようがなかったのかなと反省することしきりです。そんな私でしたが、最初に声をかけて下さったのが会長の齋藤さんでした。お話の中で私が特に惹かれたのは、齋藤さんが長井線の歴史を熱心にお調べになっていることでした。私も鉄道史には興味があり、国鉄百年史も全巻揃えたくらいのモノ好きなので(ただし読んでいない)、長井線が軽便線だったと聞いて驚いたのでした。
旅館での2次会も終わった深夜、部屋でこそこそとおらだの会のブログを拝見すると、長井線の歴史を調べた手記がありました。未成線に終わったという荒砥から左沢間の路線の根拠、「改正鉄道敷設法」に長井線が載っていない理由などについて理解することができました。翌20日、挨拶もそこそこに「長井線の改軌はいつ行ったのか?」との疑問を齋藤さんに投げかけました。すると「おそらく最初から(日本の)標準軌(1067ミリ)だったはず」との答え。頭がガーンと打ちのめされたようでした。軽便線=ナローゲージと思い込んでいたので、標準軌の軽便線なんて存在すら知らなかったのです。世の中、知らないこともたくさんある。そんなことを改めて思い知らされました。
妙に大きな宿題を長井線に置いてきてしまった気分で、帰路につきました。来年、自分がどこで何をしているかわかりませんが、できることならまた羽前成田駅の芋煮会に参加したいと思います。齋藤さんと話の続きをしたいですし、おらだの会の皆さんとももっとお話をしたいと思います。写真は荒砥駅の車庫の片隅にあって役目を終えた車両です。この駅が左沢まで続く鉄道の中間駅だったら、どんな姿になっていたでしょうか。(H.S)
【おらだの会】 H.Sさんが「終着駅の多くは未成線の痕跡」と言われたことが特に印象に残っています。役目を終えて片隅に残る車両は、鉄路の実現にかけた先人の思いや夢を、私たちに伝えているように思います。だからこそ歴史を大切にし、今を大切にしたいと思います。