いなかの白兎(5) 葉山伝説異聞
葉山神社と月山神社の関係は白兎の存在だけでなく、地勢的な環境でも極似したものがあるようです。前回紹介した神兎研究会の記事を上の写真と共にご覧ください。
//美しい風景が周りに広がりました。阿弥陀如来が祀られていたため「弥陀ヶ原」と呼ばれます。高原に特徴的な「池塘(ちとう)」という池が点在しており、神が田植えをしたようなので「御田ヶ原」とも。高山特有の天国のような場所です。極楽浄土。//
一方、葉山山頂についても同じような記述がされています。「いなかの白兎(2)」の一部を再掲します。
//この仏像は、閻浮檀金(砂金でできた仏像)の薬師如来でした。この仏像を捧げて、白狐と白兎に導かれて西山に登り、平坦な土地(今の葉山平)と農園(御田代)があったので、そこにお社を建てて祀ったといわれています。//
さらに「ふるさとめぐり致芳(致芳地区文化振興会編:平成9年)には「御田代の周辺」と題して、次の説明が書かれています。
//神社のすぐ西北に湿原があります。直径100m程の小さな湿原ですが、大鮎貝川他の水源です。昔から里の田植えが終わると苗を背負って登り、この湿原を田に見立てて田植えをし神様の加護を願ったものでした。//
同じような自然環境が、神なるものへの類似した尊崇の念を生むことは当然有り得ることであろう。けれども当時の三山信仰の位置づけを考えれば、月山神社と同じような環境にあることは、葉山への畏敬の念と共に地域の誇りとして受け継がれていくことも大いに有り得ることではないだろうか。