いなかの白兎(7) 葉山伝説異聞
さて、同じように作物や食物の神に仕えていた白兎と白狐なのに、なぜ630年にもわたって確執を繰り返したのであろうか。それは、日本書記の時代にまでさかのぼるのかもしれない。以下は日本書記の「保食神との対面」の概要である。
//天照大神から保食神に会うよう命じられた月読命は、地上に降りて保食神のもとを訪問した。これを歓迎しようと、保食神は口から食べ物を出して、月読命を迎えた。これを見た月読命は「なんと穢らわしい!」と怒って、保食神を剣で刺し殺してしまう。保食神の死体から、牛馬や蚕、稲などが生れ、これが穀物の起源となる。
この月読命の所業を知った天照大神は、「汝悪しき神なり!顔も見たくない!」と怒り、太陽と月は半日ごとに現れるようになった。これが昼と夜の起源である。//
「いなかの白兎」の最後のページには、白狐が農産の神として一生懸命働いている様子が描かれているが、その姿はまさしく日本書記に出て来る保食神そのもののように思えて来る。また月読命と天照大神が衝突し反目し合う関係になったとされているが、生命という点からいえば相補うものと考えられるのではないだろうか。太陽と月(夜)の環の中で保食神による生命が育まれることを象徴するものではないだろうか。白兎の「豊作でも不作でももうけてやる」とのセリフは、壮大な生命の連なりを陰で支えようとする意志を表現しているものかもしれない。そう考えると、この作品の壮大さに改めて気づかされ、驚かされるのである。
【おらだの会】 驢馬さんの「いなかの白兎」を読みながら、日本書記までたどり着きました。が、最初に浮かんだ二つの疑問、何故白兎が地名として残ったのか、何故この地に砂金でできた如来像があったのか、は謎のままです。そんなことも含めながら、次回をもっていよいよ最終回としたいと思います。もうしばらくのお付き合いをよろしくお願いします。
日本書記」の記事はこちらを参考にしました。
→ 月読命(つくよみのみこと)|三貴神(三貴子) | 「いにしえの都」日本の神社・パワースポット巡礼 (spiritualjapan.net)