第13話 ある運転手のこと その2(夕暮の長井駅)
山形鉄道開業30周年となった平成30年の1月のこと、2週間にわたって雪が降り続いた。除雪車は午後10時頃に長井駅を出発し、翌朝4時半頃までの作業となる。6時の一番列車に間に合わせなければならないのである。除雪車には監督者と運転手と装置操作員2名が乗り込んでの作業となるのであるが、2月3日、修一は監督者として乗り込んでいた。30年間働き続けたラッセル車が梨郷駅の手前でついにダウンした。以来、列車は2週間にわたって運休となった。その間はバス代行をしたが、各学校付近の道路は交通渋滞を引き起こした。やがてJRの応援ラッセル車に応援してもらい、ようやく復旧することができたのである。この間、社員は全員殆んど不眠不休、独身社員は会社に泊まり込みの毎日であった。そんな時、列車を利用していた高校生から「応援メッセージ」をもらった。嬉しかった。けれども、氷となった雪の塊に幾度となくツルハシを振り落とすときに、涙が出てきてしょうがなかった。老いぼれの除雪車に思わず「ごめんな」と謝っていた。
次の冬は、雪が少なくてほっとした。けれども、あの年のような豪雪はいつ起こるかもしれないものだ。上下分離方式と言われるが、列車や線路だけでなく、ラッセル車も、信号システムも更新しなければならない時期になっているのだ。冬を前にしての整備作業の度に、何度となく「今年までもってくれるか?」と語りかけるのであった。
ここで働いた年月を総括するには時間がかかるだろう。若い社員に何も語るものはないが、この会社で働きたいと思ったその気持ちだけは忘れて欲しくないと思う。毎朝、列車に手を振ってくれた子供たち。各駅で花を育ててくれた人たち。そして朝に夕に運転席から眺めた葉山の姿が目に浮かんできた。優しい発車音を残しながら、列車がホームを離れていく。修一はそっとつぶやいた。「ありがとうYR」