第12話 汽車がかかったぞ〜(長井駅)
今まで長井から赤湯まで、長井から荒砥まで客馬車が通って、人々を運んでた時代。長井町といったて、本当にまだまだ小っちゃな町で、汽車がかかった停車場の前あたりは家がぱらぱら。道の北側あたりは田んぼで、11月半ばは既に稲刈りも終わり、いなし株から二番ぼけの稲が青く延びている。大正3年11月15日、初めて汽車がかかった。
朝早くから、のろしがどどんどどんと鳴り渡り、昼間は仮装行列、夜は提灯行列といろんな催しがあってお祝が盛大に繰り広げられた。町の人も在郷の人も、初めてかかる汽車に『ほんとにかかんなべが、誰でも乗られんなだべが』などと、たんとたまげで停車場前後にいっぱいの人が我先にと集まってきた。町長、校長、村長、町会議員、局長、無尽、銀行支店長、工場長、在郷軍人、巡査、消防団長などいろんな肩書きのある主だった人が、紋付き羽織袴でお祝いに呼ばれて、祝辞が次々と述べられて、町はお祝い一色でごったがえしだった。
まっちゃど源次は、2里もとがーい山の下がら、「汽車なて、話に聞いたごどあっけんども、見だごどないがら、いってみんべぇ」と朝早く飛び起き、やげめしを腰っ骨さゆっつげで、わらじ履きで出掛けてきた。停車場付近は黒山の人だかり、2本の鉄の線がずっと向こうまで続き、黒くて大っけな物が少しづつ近づく。
源次はたまげで「まっちゃ、早ぐ見ろ、見ろ。もみどが歩いで来たでないがえ」と言うど、側にいた年上の寅次郎が「軍艦が陸さ上がって来たでないべが」と言った。黒くて高い煙突から、ぽっぽっと、けぶを出してだんだん近寄って来る。流石のまっちゃも、ぶったまげでしまった。すると源次が、「こんがえに大っけなもみど、むじしぇっとぎ、なじょしんなだべ。」「あんまりおもだくて、ししゃましんなだべなえ」とまっちゃに聞いたが、まっちゃもなんぼ考えでも、なじょしんなだがわかんねがった。
人々の万歳の声が、いつまでも続いた。「人力車と汽車なて、俺らんだの乗り物でないべなえ」と源次が情けなさそうに言うど「これはしたり、あんまりせわしいごど語んねで、まっちょまず。うんとかしぇで、お前だどご乗せんぞ」とまっちゃが空威張りして見せだ。その後、大正12年4月22日、待ちに待った汽車が荒砥まで開通した。かなり昔の長井史に残る大きな騒ぎであった。
昼仮装夜提灯の行列に町民あげて祝う一日
長井線歓呼の声にお出迎え上を下えの秋の夕暮れ
【おらだの会】本稿は「長井地方の方言風物誌 西山のへつり(寺嶋芳子著)」より。写真は長井市提供。