煙突管が語るのもの
西大塚駅は屋根の上に煙突は残っていますが、煙突管は残っていません。成田駅の事務室内には、屋根に伸びる煙突管と正面の壁に伸びるスチール製の煙突管が残っています。成田駅に残っている写真から見ると1989年(平成元年)10月の山形鉄道開業時には屋根の煙突はなくなっており、事務室のストーブが完全になくなったのは無人化となった1997年(平成9年)以降の事と思われます。
さて、西大塚駅の煙突はなぜ屋根の上に残ったのか。そして成田駅の煙突管は何故残されたのか。「処分費がなかった」とか「解体するのが大変だったから」とは思いたくない。国鉄に憧れ、蒸気機関車に憧れた鉄道マンたちが、自分たちが働いていた場所、生きていた時代の証として残しておきたかったのではなかろうか。いや、きっとそうに違いない。残された煙突管には、蒸気機関車の力強い黒煙への郷愁と未来に向けて絶えることなき鉄路への希望が託されているのかもしれない。(などと妄想することができるのも、煙突管が残っていることのお陰である。)
【写真は「成田駅のストーブを囲んで(1956年1月)」 宮崎正義氏提供】
2020.09.10