弁慶の供養塔?
ふるさとめぐり致芳(致芳地区文化振興会編)では、「この塔様は寺に建てられたものか、または川端に建てられ野川や松川の洪水を防ぐため、お祈りしたものかとも考えられますが、道しるべともいわれています。」と記されている。また古口名兵衛宅(?参照)付近の3層の石塔と塔様、西根地区の黒附け土壇が一直線上に並ぶことから、「山岳信仰に由来するものでないか」とも書かれています。
その正確な由緒を確認することは出来ませんが、一時期、塔様を供養する祭礼が途絶えた時期があり、町内に不幸な事が続いて起こったそうです。今、地元久保町地区の若い衆は、弁慶会という会を作り、毎年7月に供養祭を行っています。弁慶会の平成30年度総会資料には次のような活動目標が掲げられています。
「伝統ある弁慶会員の一員であることに自覚と誇りを持ち、家庭と仕事を大事にしながらも、何かと集まる理由を常に探り、提案し、実際に集まる機会を増やそう。そして今以上に「弁慶愛」を育み、会員各々が各々の世界で「無敵の弁慶」になれるよう励まし合い、認め合って活動していこう!さらに「義経・弁慶ゆかりの地」を緩やかにPRしていこう!」
弁慶の供養塔を通して、先人が残し、伝えたかったのは、こうした仲間が集う場所と地域への思いだったのかもしれませんね。弁慶会の益々の発展を祈念しながら、この物語はこれにて打ち止めにて御座候。
2020.02.10