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軽鉄人物伝? 荒砥町6人衆(その6)

「最上川右岸は水害の憂いがなく、また後日、西村山郡の平野線に連絡する上で極めて便利であり、鉄道線路はもちろん右岸であり停車場も荒砥町に設置することは疑う余地がない、と鉄道院の理事が言明したことは、当地方民の記憶に新しい所であり、ただ速やかに時期の到来することを渇望せる次第に御座候。云々。」

 請願の場の臨場感あふれる詳細な記述は、逆に裏切られて悔しいとの感情を際立たせて来るようである。荒砥町6人衆の最後に登場する本間猪吉町長は、大正6年から大正8年までの就任であり、軽便鉄道実現の最後の壁に立ち向かうことになったのである。現在の山形鉄道を代表する撮影スポットである最上川橋梁は、荒砥6人衆を先頭にした地元の熱い戦いの遺構でもある。

 

 

【請願書資料提供:ふるさと資料館(南陽市宮内)】

 

2019.07.26
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