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軽鉄人物伝? 荒砥町6人衆(その5)

   請願書では、「(郡長の話を)聞ける当地方民の驚愕一方ならず。心痛その極に達し候」として、憤懣と不信感を列挙するのである。そもそも長井線の延長予定線は最上川の右岸であり、かつ衆議院で採択された請願も、鉄道会議や鉄道院の告示も長井荒砥間とあり、荒砥町まで達するのは当然のことと理解される。明治44年中、延長請願のため鉄道院に出向いて陳情した際、当時の理事の3氏は、財政上の都合により今は延長できないが、将来適当の時機に延長すること。その際のルートは、30余年間の最上川出水表により、左岸は一般に低地で水害多く殊に鮎貝村付近は洪水地域と認められ、線路には不適当でありかつ停車場設置も到底不可能である、と言ったではないか。

   掲示した新聞記事は、置賜実行委員会と称する団体が、鉄道院に請願に行った際の米沢市長二村忠誠氏(後に小林源蔵氏と衆議院選挙を争う。)の談話である。鉄道院理事3人の話が、この請願の時であったかはもちろん不明である。最後の「例年通り貴衆両院への請願を取りまとめ中」との記述から、継続して要望していたことが伺える。

 

 

【請願書資料提供:ふるさと資料館(南陽市宮内)】

【新聞記事提供:米沢日報(明治44年12月7日)】

2019.07.22
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