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2015 フィルム講座 大正3年対昭和9年 6

平成26年度「長井の心を育む推進事業」で公開した写真を取り上げる。

長井のまちには、その歴史の中で様々な建物があらわれては消えを繰り返してきた。現存しているものもあれば消えてしまったものもある。その時々の人々の暮らしを彩り、時代を形どってきた建物等を、大正3年・昭和9年の時間軸周辺でご覧いただく。

 

         長井駅の大正3年と昭和9年

 

             大正3年の地図

 

この地図こそ、大正3年11月15日の長井線開通に合わせた「新装のながい」という、民間発行の町勢要覧に添付された地図である。現在の「長井駅」は「長井ステーション」と。当時の「駅」は人と物の運ぶ中継地であった。駅の表示は、その後「停車場」という名称に変わっていく。線路の図柄も、当然長井で止まり、以北は計画のラインとなっている。大正3年以前は、中央十字路はなかったが、駅ができて小学校が移転新築して十字路ができた。

 

 

大正3年11月15日、現南陽市赤湯と現長井駅の鉄道が開通した。初代駅舎が写っている貴重な写真である。鉄道開通と同時に電気も使用できるようになり、以降、まちづくりや交通面生活面で大きな変化が訪れる。

 

 

現在の中央十字路北にあった「トモエヤ」商店。鉄道開通と初めて電灯が点いた記念の祝賀風景である。右側に「裸電球」を吊り下げ、その隣の看板には時刻表を掲示した。

 

昭和9年の地図

 

 

鉄路が北へ伸び、駅の表記も「ステーション」から「停車場」に。ここ21年で、道路網も大きく変わっている。?女学校ができ、32番が小学校、?が郡是、31番が自動車学院、?は病院。

 

 

大正末から昭和初期の長井駅。入口部が大きく変わり下屋部分も増えている。昭和8年には、長井初の「舗装道路」が長井駅から現中央十字路まで整備された。

 

 

昭和10年の駅前道路の写真。駅舎は改築前のもの。舗装道路とともに「すずらん燈」も整備された。

 

 

 

 

昭和11年、全面的に長井駅が改築された。ほぼ、現在と変わらない。

 

 

 

2015.03.31
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