記事詳細ページ

弁慶の供養塔

弁慶の供養塔◆Р菫

 昔、成田と森が一つの村であった頃の事である。あるいは未だ森、成田という名称も付けられない頃であったかもしれない、文治2年(1186年)秋の事であった。

 村の東方の部落に山伏の同行7人が、民家に宿を願って泊めてもらったのであった。この山伏一行は、源九郎判官義経主従が、世を忍ぶ落人潜航の人達であった。もちろん表向きは、普通に羽黒詣りの山伏と言っていたが。7人が一軒に泊まることは出来ないので、付近のもう一軒に分かれて泊ったのでありました。

 

 

注:この記事は、長井村郷土史会が昭和28年2月にまとめた「長井村伝説物語――成田字塔の越(塔の腰)塔ッ様の由来 鈴木氏一門家系の由来」を基に作成しています。

2020.02.11:[致芳CH]

この記事へのコメントはこちら

  • 名前
  • 題名
  • 本文
  • URL
  • ▼編集/削除用パスワード (半角英数字4文字で自由に入力して下さい)
  • ▼手動入力確認 (画像の文字を半角英字/小文字で入力して下さい)

  •  ※誰でも投稿可/すぐに反映

斎藤 理喜夫

山形県長井市の羽前成田駅で活動する『おらだの会』の情報を発信します。

Access 4,702,712pv (2015.12.04〜) Today 239pv Yesterday 10,445pv