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軽鉄人物伝 小林源蔵(その2)

軽鉄人物伝 小林源蔵(その2):画像

   鉄道官僚出身の政治家である小林氏の実力を知ることができる資料が幾つか見つかった。小林氏が当選した明治45年、内相兼鉄道院総裁は原敬。山形県議会80年史によれば、原総裁は当時要望が出されていた村山軽便鉄道、すなわち山形駅から発し出羽丘陵を迂回して荒砥に連結する循環線を梃に、政友会の基盤拡充を目指すことを念頭に置いていた。このため、原総裁は、鉄道院参与を務めた小林に当該路線の企業価値を調査させ、また明治29年から30年にかけて山形県書記にも在職したことのある内務次官 床次(とこなみ)竹二郎に県内の政治状況を調べさせたという。蛇足になるが、原敬に重用された床次竹二郎は大正2年に鉄道院総裁に就任し、その後衆議院議員にもなった人物である。

 また、我が地元・成田地区との関わりも少なくない。横山文太郎著「成田の歴史」によると、大正8年の長井駅以北ルートの測量が行われた後、成田駅の位置を成田区の中央に決定するよう要望していた。当時長井村村会議員となっていた佐々木宇右衛門と小林代議士は親しい友人関係にあり、小林代議士は鉄道院の参事であったから、佐々木から一言「頼む」と言えば、すぐに実現したのではないかというのである。しかしながら佐々木は、鉄道には消極的あり、それを進言するのもはばかられた、とのことである。

 小林氏は大正8年の第41回帝国議会では、予算委員分科会の主査の職にあった。大正9年2月26日までの任期を務め、大正10年(1921年)1月9日に逝去された。長井から荒砥までの延長工事が開始されたのはその前年の大正9年12月15日のことであった。

 


【参考資料:山形県議会80年史、横山文太郎著「成田の歴史」致芳史談会発行、帝国議会会議録データベース】

2019.06.08:[致芳CH]

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斎藤 理喜夫 ( )

山形県長井市の羽前成田駅で活動する『おらだの会』の情報を発信します。

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